ぺっぺけぺの雑記

くそったれプログラマの素晴らしきくそったれ



ほしいものリスト

春を愛する人

この前の土曜日!

知り合いになった女の子と5回目のデートの末、お付き合いを申し込んだらOKもらえた!!

春だコラ!!!

嬉しいんじゃコラ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エイプリルフールとかじゃないよね?

現実逃避

FF外伝

聖剣伝説

 

のテーマ曲(カートリッジをゲームボーイに差し込んではじめに流れる曲)ってハ長調?打ち込み楽だわね。

やったのは2まで。ナーシャ・ジベリは神。

 

なんだかんだ言って思い出補正が最強なんだろうけど、この頃のゲームの音楽が一番好きだし、プレイもこの規模が限界だな。

 

『頑張れば』『短時間で』『最高の楽しみを味わえる』

『音楽は』『最高』

『たまに(大方)』『クソゲー

 

この頃のゲームクリエイターの話を見ると、ドロップアウトしてゲーム業界に入った人ばっかりなんだよな。

全員が全員、そうじゃないかもしれんけど。アニメの世界もそうだっけ。

(漫画はそういう人が少ない感覚)

 

音楽家として生きたかった人。実写の映画を作りたかった人。

 

ファミコンが流行った頃。当時はテレビゲームなんて、子供のための下卑た遊びでしかなかった。

親はゲームばかりする子供をもの凄い勢いで叱りつけた。

過去、小説を読んでは怒られた記憶を思い起こしてか、または封印してか。

 

ゲーム会社は「ゲームは一日1時間」などの標語を作って、なんとか親に取り入ろうとしていた。

 

その後、ゲーム・漫画・アニメは日本のエンターテイメントの最前線(の一部)の担い手となった。

一流のプログラマイラストレーター、音楽家、そして高学歴の人間。

そんなのを囲って、今なぜか停滞している。

 

技術が複雑化すると、表現するための手順も指数関数的に増えていって、何かをするためのコストが爆発的に増えるのかな?

 

技術が進化して表現できることが増えるとともに、受け止める側のハードルもものすごく上がって、自分の表現よりも相手の期待に答えることが優先になって。

応えるための時間が足りなくて、でも食わなければ死んでしまうから、とりあえず応えてたら数年経って。

 

現代芸アートはそういった問題を突き抜けたんだろうな。

「ついてこれないお前が悪い」って視点で突っ走ることで。

 

一つの答えだとは思うけど、よく分からん作品も多い。

意味わかんないものもあれば、気持ち悪いものも多い。

俺としてはあまり好きじゃない作品が多いかな、もてはやされているものでも。

ベクシンスキーは好き。キモイけど。……これも現代アートなのか?

 

古臭くってダサいのかもしれないけれど、俺は幻想的でキレイな絵が好きだな。

奇抜さなんてどうでもいい。

 

そういう方向性で、ファミコンスーファミぐらいの素直に楽しいゲームの音楽、ビジュアルってのが好きだ。

自分の好きなものを、各々が最大限に発揮できているように思える。

そういうのを受け取るこちらもちょうどいい年代だった。

 

プレステは2くらいまでやって、楽しいゲームもあった。

でも声優がつくゲームは俺にとってゲームじゃない。そういうのは映画だけでいいんだ。

声優付きで唯一アリだと思ったのはミンサガくらいだ。

あれはやりたいことを結構突き抜けてやってた感じ。河津秋敏はそういうとこあるよね。大好きなんだが、彼のせいで痛い目を見たキッズも多い罪深き人だ。

 

 

昔、親が言っていた。

「漫画は画面を強制的に押し付ける。それが嫌だ。自分で考える余地を奪われる。小説は自分で画面を想像する。それがいいんだ」

 

俺は漫画世代だし、でも小説も好きだし、親の言い分もわかれば漫画の気楽さも大好きだ。蒼天航路とか気持ちよくて最高に好きだし、宮城谷昌光さんの『孟嘗君』に出てくる白圭のかっこよさは俺の脳内で完結されている。

 

そういう俺が理解できない『声優つきゲーム』が標準になっている今は、すでに次世代に突入しているんだろうな。

 

 

思えば、文学も映画も、時代時代で散々「落ちぶれた」「後退した」って言われ続け、新しい文化に蹂躙されそうになりつつ、節目節目ですごい作品を供給し続けている。

のかもしれない。

成熟した文化っていうのはそういうものかもしれない。

 

そういう意味では、ゲームもそんな領域に入りつつあるのかな?もしくは本当に後退しつつあるのかな?

 

 

 

と、任天堂スイッチとやらを買う衝動をとうの昔に失った中年オヤジが書いているブログがこちらです

 

 

 

 

期ー衝ー動ーにーー魅せーーらーれてー

社内サーバー管理者とは

またやっちまった。

 

会社のリーダー会議で、ある先輩リーダー(セキュリティ委員)から提案。

 

「管理者の決まっていない社内共有サーバーが1つあります。現状、みんなで管理することが前提になっていますが、セキュリティ上、社員のだれもがログイン出来るというのはよくない。と思われましたので、ぺっぺけぺが統括する委員会に管理者になって欲しいと」

 

「ちょっと待て。管理って何するところまで含んでいる(んですか)」

 

「セキュリティ委員的にはログインユーザーを管理者のみに絞るなど」

 

「待て。一般的に『管理者』って壊れた時に直す責任もふつうは負うと思うんだが(ですが)」

 

「いや、そこまでの責任は考えてない」

 

「考えなくてどうする、じゃ壊れた時に直さなくていいのか」

 

「いや、そういうわけじゃなく」

 

「この共有サーバーってVMホストで、その上に各々のゲストマシンが乗っているわけだが、その管理は。ログイン出来なきゃ起動も出来んだろ」

 

「じゃ、その役割も」

 

「じゃ、じゃない。セキュリティ的に何が問題なのか、まずそこをはっきりさせる。

その上で解決するにはこうする、発生する弊害やコストはココが負担を負う、そこまでフローを考えてから発案しろください」

 

「……言いたいことが伝わらなかったのはこちらが悪いかもしれないけど」

 

伝わらなかったじゃねえ、考え浅すぎんだろが、丸投げしたいだけじゃねえのかぁぁぁぁああぁあっっっぁあ

 

 

とまあ、さっさか引き受けりゃいいものを、気に食わなかったもんだからメールで不明点(文句)を役員込みでブン投げた後、全社員の前でパイセン社員に噛み付いてしまった。

何だこの出戻り37歳(今年で38歳)

 

 

部長(セキュリティ委員顧問)は、噛み付いている俺と噛みつかれているパイセンの様子を少し見に来たが、仲裁する価値なしと思ったのか何も言わずさっさと引き上げていった。スマヌ部長。

 

 

去年、会社から裏切られたと感じてからのもの、あまり良くない噛みつきぐせがついたなあ。

 

ぶっちゃけサーバー管理しろと言われたところで、サーバー壊れた時に忙しけりゃ逆ギレして「待ってろオメーら」「あーHD死にました諦めてくださいハハッ」って言うくらいの不良社員だし、できないことじゃないっちゃない。

 

でもな、悪気もなく、ロクに調査もせず、どんだけの負荷を負うことになるかもわからずに丸投げしてくるような輩の言うことを聞いていたら、去年のクソ残業地獄をまた繰り返すだけなんだよ。

 

というわけで管理者はケンカを売って拒否。

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーナス間際だったきゃああああああああああああああ

吾妻ひでお氏

吾妻ひでお氏の「失踪日記」と「アル中病棟」を買って読んだ。

 

なんかところどころで引用されていたので気になっていた。

結構前に発行された本なので、ブックオフあたりにあるかな?と思って回ってみたけど、藤沢あたりのブックオフには全然なかった。

 

池袋のジュンク堂行くかなと思ったけど、藤沢にもジュンク堂あるじゃねーか!!

行ったらあっさり見つけたので購入。

zip?シラネ

 

自分がわりかし酒飲みなので、酒飲みの書く本に惹かれてしまうところがある。

中島らもとかね。

 

「最近は中島らもとか読んでまs」「中島らも?お前あんなもん読んでるのか、やめとけ、あんなロクでもないもん」

数年前にした、部長との会話。

ある意味、正しいお言葉だと思う。

そんなロクな内容じゃないものに惹かれる凡人もいるんですわ。

中島らも氏の本はまあいろいろあるけど、楽しいものは純粋に楽しいよ、頭の回転は早そうだし「オー暴走してんな」「またこの話か」「あぁまたこのはなs」etc

 

今回の吾妻ひでお氏の漫画の内容を見て、俺みたいに内臓が弱い(深酒したら次の日にはウエーっとなって連続飲酒できない、と思っている)人間でも、連続飲酒に陥る可能性はあるかもなあってちょっと怖くなった。

 

怖いとか怖くないとか関係なく、酒に逃げることは結構あるから。

 

 

 

しかし吾妻ひでお氏は絵がうまいなあ。漫画家だから当然だけど。

手塚治虫氏や藤子不二雄氏は言うに及ばず、桜玉吉氏とか西原絵理子氏も何というか見ていて楽しい絵をお描きになられる。まれによくダークだけど。

なんというか、一枚絵も漫画全体も楽しくさせてくれるんだよなあ。んで安定感があってほっとする。なんだろうなこれは。

 

そういう漫画が好きでござる

働きたくないでござる

ニンニン