ぺっぺけぺの雑記

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血液型と性格

血液型で人を判断するということは、ともすれば人権侵害につながりかねない危険な行為として、一部の人から忌み嫌われる傾向がある。

 

かと思えば、『これだけ自分が生きてきた中で、出会った人の性格をかんがえてみた時に、これだけ傾向をハッキリと感じられるのである。何らかの相関関係があるのは言うを待たない。医療的な組織が、混乱を避けるため、公開を控えているのではないか』という意見もある。

 

正直、どちらでもいいと思うことではある。

知ったところで、血液型を変えることなど不可能なのだし、仕事をしていれば血液型で人付き合いを選ぶなどということはほぼ不可能だ。

また言うを待たないというのであれば、人間は4種類の性格・傾向しか無い『ワケがない』というのも誰しも受け入れざるをえない事実であろう。

 

だが、「ああ、この人はこういうタイプなんだ。なーんだ、それもかわいいな。そんなところも受け入れられる自分になりたいな」と受け止められるための参考書としてなら、血液型に性格の根拠を求めることも有りなのではないか、と最近思った。

 

極度か、それに次ぐくらいの裏切りを受けた場合などを除き、異性と付き合うことは、お互いがお互いを許容しあう必要がどうしても生まれる。

 

どんなに聖人ぶってみても、男性と女性では、考え方がどうしてもすれ違う点がある。

物理的にかんがえても、男性が子供を産めず、女性は子供を産む能力を持っているということ、未だ日本は男性社会であることなど、超えられない立場的・環境的な壁がいくつもある。

 

完全に分かり合えることはほぼ不可能で、分かり合えたと思った時が最も危険な時なのではないかとさえ思う。

(そもそも俺は、同性・異性、家族・他人関係なく、人が完璧に分かり合えることなど無いと思っているフシがあるので、特にそういった考えが強いのであるが)

 

「理解は出来ないけど、あなたの性格を考えればその考えは納得はできる」

「納得はできないけど、性格を考えればあなたの気持ちは理解は出来る」

 

そのどちらかの状態であれば、一緒に生きていけると思うし、そのための道具として血液型の傾向という情報を(あくまでも自分の考えを整理させるためで、相手に対しての何らかの押し付けではないことが前提だが)使うのは、悪くないことなんじゃないだろうか。

 

「お前は◯型だから、こういう悪いところがある」などと、相手を貶める道具として使うのは最悪だが、そういうふうにも使えるし、使う人も少なくないから、嫌いな人はとことん嫌うのだと思う。

 

したがって、血液型による性格診断をうまく利用する、というのであれば、あくまでも自分の心の中でのみ、それも相手を持ち上げる意味でのみ使うことが肝要なのかと思っている。

 

まあぶっちゃけ、彼女さんとの考え方の違いを受け入れるため、いろいろ考えている過程での仮定なんだが。

 

彼女さんとの旅行は夢の様な幸せなひとときだった。

いつでも夢うつつで暮らしたいとは言わないが(出来りゃそうしたいけど)、節目節目で幸せを噛み締められるよう、自分の考えを深化していけたらと思っている。