感謝を込めて
なんか、最近はいろいろとストレスなき日常を送れている気がする。
最高か?と聞かれれば、いやそりゃ最高とまではアレだけど、間違いなく「どツボ」ではないしいやむしろ50%以上のアレですと答えるようなアレ。
先祖、神様に感謝しないと、てなんか唐突になんかね。
先祖と言っても、俺が主に祀っているのは小5くらいまで一緒に暮らしていた祖父だ。
うちは神道なので仏壇はない。とはいえクリマスやっほいだし厳格ななんかではないけど。先祖を祀る(見習う、恥じない行動を心がける)という気持ちが強いかな。
本当であれば神棚を用意して祀るべきなんだろうけど、引っ越しも多いし正式な方法も知らないし、とりあえず本棚の一番上の場所に祖父の霊璽をおいて毎日挨拶している。
で、食事を作るたびに
「今日は豚肉の炒め物ですー」
「今日は牛肉の煮物ですー」
(今日はコンビニ飯なんで差し上げるのも恐れ多いのでなしですごめんなさい)
とか差し上げたりしているんだが、よく考えたら肉とかいいのかとか
まあほら気持ちだし
などとしている。
しかしやっぱ感謝の意を示すなら、祖父の好物を差し上げるべきだよね、と思い、今日は早く帰れた(客先からの直帰で2時50分には帰宅の電車(ヒマだからサボりだゴルァ))ので何か祖父の好物を、と思ったものの祖父の好物を知らない自分に戦慄を覚えた今日の午後
あのころは小さかったんだモン
しかし、日本酒を飲んでいたという情報はおふくろさんから聞いてた。
日本酒!ならば魚だろう!そしたら遅く買えるときにはいつも閉まっているあの魚屋が開いていたら刺し身を買って日本酒も買ってヒャッハー!!
開いていて、タコとスズキの刺し身があったので購入
その残りを一人いただいたのだが、食いながら「オカルトサイトで、神様が召し上がったお酒・食べ物は甘みや風味が高まるって書いてあったなあ」とか思い出してふむふむしつつ、すぐ下げるのはあまりにもアレな気がするので、アーモンドとか食べつつWeb回覧。
時間がたったあとにお下がりをいただいたんだけど、「おほほ、乾いてる乾いてる」と思いながら醤油につけてお下がりをいただいたら
うめえ(訳:美味しい)
いやま、ネタバレすると、その前に食った余り物、くい方が意地汚かったんだ。
お皿に入れて上から醤油をパパっとかけて食ったもんだから、醤油のムラがあってかかり過ぎてりゃしょっぱいし、足りない部分はあっさりだし。
神様に差し上げた分はお皿にちゃんと盛り付けてあって、それをさっきの残った醤油(+わさび)に適量つけて食いました。うまいに決まってるよな。
でもまあそれがおもてなしということだし、食べるものはちゃんと食べる形にして食べることが重要だと勉強できました。何だこのどうしようもない37歳は。
明後日は納車なり。
今後の幸せを神様、先祖に感謝しつつ、今日は休む。
江ノ島散歩
最近どうも思考が暗い!なぜだ!!
そうか、運動不足のせいだ!間違いない!!
ということで、自宅から江ノ島まで歩いてみた。
google先生によると大体1時間くらいで行けるとあったが、海岸までは40分も歩いたらついた。
素晴らしい天気。カップルのみならず、家族連れや散歩するご老人、ランニングする人などたくさんいつつ、場所が広いから開放感も失わず。いいとこだね。
けど目測を誤ったのか、江ノ島遠いよ?
とりあえず海岸線を歩く。
なんかたってた。
平和の像らしい。ムキムキで、なかなか素敵だ。
サーファーはすごいよね。寒さなんて屁でもない。
海に入っている方が暖かいってのはよく聞くけどね。
んな感じでてくてく2時間ぐらい歩いたところで江ノ島へ渡る橋の部分についた。
結構歩いたなーと思っていたら友だちから電話。
今日夕飯時飲まないか、と。快諾。
江ノ島の神様にお参りして、そのまま藤沢まで歩いて銀行でオヤジへの振込を済ませ、明治地所で駐車場のカードキーをもらい、帰宅して少し寝た。
いや気持ちよかった。
計4時間ぐらい歩き通したので、正月から怠けきってぶよぶよしていた体も少しは引き締まったかもしれん!!
夕方、友達と台湾料理により肉と脂とアルコールを大量に摂取
よいのじゃ、また運動すれば
お茶とオカルト
ボッサム「なんか変なものが見えるんだけど何だこりゃ?」
のまじ「それはもう一つの世界、魂の方の世界の存在」
ボッサム「なにそれ?あれ、コイツさわれない」
のまじ「そいつには肉体では触れない、こっちにはいないから」
ボッサム「のまじ言ってることわからない」
のまじ「人間は肉体と魂で出来ていて、魂はエネルギーのようなものと意識で出来ている、本当はもう少し細かく別れるけど」
ボッサム「ふむふむ」
のまじ「魂は本来、こっちの世界の存在じゃないけど、肉体に結びついているときだけこっちの世界にとどまれる、それが君や私」
ボッサム「ほうほう」
のまじ「肉体がなくなって魂だけになると、じきにこの世界に重なっている別の世界に移動する、そこは物質のない世界」
ボッサム「じゃ、この変なものはそっちの存在っていうこと?」
のまじ「そう」
ボッサム「へえ、なんで俺こんなの見えてんの?」
のまじ「あなた今、体調くずしてるでしょう、肉体と魂の結びつきが弱まってる」
ボッサム「うへえまじか」
のまじ「家でゆっくり休みなさいよ、そんなの見えている状態はいいことじゃない」
ボッサム「でもさ、みんなそう言うじゃない、見えてないほうが幸せとかなんとか。のまじは昔から見えてるの?」
のまじ「私はそういう家系だから」
ボッサム「なんで見えちゃマズいんだ?」
のまじ「そもそも、魂がこっちの世界にあることは、状態的には不自然な状態。意味があってこっち側に来ているんだけど」
ボッサム「へえ」
のまじ「それなのに、そっちの世界のものが見えるってことは、魂がそっちに引き寄せられて、こっちの世界から離れつつある状態なの」
ボッサム「死ぬってことか?」
のまじ「離れつつあっても、または一時的に離れたとしても、また肉体にひっつくことがあればもとに戻る」
ボッサム「ほう」
のまじ「でも、意識の一部が戻らなかったりすれば、それは困ったことになる」
ボッサム「例えば?」
のまじ「魂が不完全な状態だと、人とは基準が変わってしまう。サイコパスとかきいたことあるでしょう」
ボッサム「あれ、魂が不完全だからなのか?」
のまじ「全部じゃない、それが原因の場合もあるというだけ。その他にも、意識が全て向こうに行けば植物状態になるし、魂そのものがむこうに帰れば肉体はもちろん死ぬ」
ボッサム「マジかよ」
のまじ「いやでしょうそんなの。あなたはそんなことしたくてこっちに来たわけじゃないんだから」
ボッサム「そうなのか、よくわからん、でもなんかもっといろいろ知りたい」
のまじ「知ることも向こうの世界に近づくことなんだよ。変なものが見えてしまったというので最低限のことは教えたけど、これ以上は知らないほうがいい」
ボッサム「でものまじは知ってるんでしょ、大丈夫なんじゃないの?」
のまじ「私は戻ってくる方法を感覚で分かっている。これは生まれつきのものだから教えてなんとかなるもんじゃない。それでも、この力を持ってしまっているせいで、私は多分短命」
ボッサム「ぬう、気に入らん」
のまじ「あきらめて、忘れたほうがいい」
ボッサム「嫌だ、のまじが短命だなんて気に入らん。何とかせんかい」
のまじ「え」
ボッサム「もう向こうの世界のことなんて知りたがらん。俺は帰って寝る。のまじも帰って寝て長生きしろ」
のまじ「……うん、そうする」
など、電車移動中にオカルトサイトの記事読んでたら頭に浮かんだ
今日は楽しくお茶をしてきた。
ずっと楽しい日が続くことを望み、そのために頑張る。
人間に貴賎あり
プロブロガーで稼ぐ、といって新卒カードを捨ててフリーターになる人がいる。
「職業に貴賎なし」という言葉がある。
どんな仕事もそれを必要としている人がいて、どんな仕事も差別してはいけない、という意味合いだそうだ。
確かにその通り。職業に貴賎はないのだろう。
逆に、そんな感じでフリーターを満喫している人が
「正社員になるなんて、承認欲求を満たしたいだけ。会社員なんて時間の切り売り!俺みたいに自由に楽しめるほうがウェイウェイ」
みたいな事を書いている記事を読んだ。
いやまあそうかもしれないけど、事更に会社員を恨む・馬鹿にするような内容を見てちょっと引いた。
で、少し考えさせられて、「職業に貴賎なし」という言葉を思い出したんだけど。
職業に貴賎はないが、人間に貴賎はあるな、と。
自分以外の人のことを、その人の気持ちになって考えられるかどうか。
その人のことを思った行動ができるかどうか。
これができる人はデキた人間だ、というのは皆異論はないと思う。
初めて社会に出たとき、勘の良い人は、集団で行う仕事は人間関係が一番重要だという事にすぐ気づく。
そして、人間関係の要は「相手が嬉しいと思うことをする」「相手が嫌がることを押し付けない」ということだと理解する。
その方法はいろいろ。
本当に、心底その人のことを思って行動する。
上辺だけ取り繕って行動する。
なるべく人間関係を築かない。
結果、いいように使われてしまう人もいるだろうし、狡猾に美味しいところだけ取っていく人もいるだろう。
ただ、そもそも人とコミュニケーションを取る場所にいないと、そんな感情さえ育たないと思うんだよな。
必要ないから。
会社員になるということは、よほど特殊な環境でもない限り、人間関係を構築せざるを得ない状況にブち込まれる。
そういう場所を避けてばかりいると、相手のことなど考えていない行動ばかりするようになってしまうのかなあ。
悪気もなく。
尻切れトンボだが、そんなことを考えてしまった。