流行りの絵
絵
というかイラストについて
「絵師」などと呼ばれる、とても絵の上手い人がたーくさんいる。
たまに、すごく味のある絵を描く人がいたりして、そういう人の絵には凄く惹かれる。
芸術、というわけじゃない。あくまでもイラストの範疇、といった感じで。
そういう人の描く絵は、モノクロでもカラーでも、「あ、あの人の絵だ」って一発で分かる。とんがっているから。
でも、需要のあるのはそういう俺の好きな絵ではなく、よくある美少女のイラストの方らしい。
世の中のしくみっつーのはシンプル且つ残酷で、とにかく需要のあるモノを作り出せる人が富を獲得出来るようになっている。
富を獲得できる絵は社会の中で消費され、更に量産される。
富を獲得できない絵は大海に埋もれ沈んでいく。それでもとんがっている人は、とんがった部分を海面から突き出し、呼吸して生きている。
需要はその地域・時代で変化する。
今の日本では、わかりやすく、量産可能な美少女絵が最も需要があるようだ。
キラキラしていたり、バッキバキだったりとちょっとしたアクセントもあると尚良。
そこを攻められる人間がとりあえず一番稼ぎやすいのだろう。
ただなあ。ここからは個人の嗜好の問題なんだろうけど、いま流行っているであろう絵がら、全部同じ顔に見えちゃうんだよな、俺。
2つくらい前の彼女さんがそちらのクラスタの人で、お気に入りの女の子のキャラクターがいて、しょっちゅうその子の絵とか描いてたんだけど、そのキャラクターと他のキャラクター、髪型と設定を除けば同じ顔してね?とかついいいそうになってぐっと堪えること度々。
いやまあ古い人間なんだろうな俺は。
まどか☆マギカだっけ、会社の後輩が面白かったって言った時につい「顔の形がホームベースに見えてしまう」って言って、あー、と苦笑いされたこともある。
「コイツはダメダ」って思われただろね。
たぶん、話の内容とか設定などなどを総合的に楽しむものなんだろう、とは思ったけど、やっぱダメなんだよな。見た目重要。
首が飛ぶ?そういうのは漫☆画太郎大先生で十分だ。あの人は偉大だ。神だ。創造主だ。くそしてねろ(森泉)
ん、なんか言いたい事の本質がズレた。
上で言いたいことは、俺は古い人間なんだろうという言い訳だ。
ピクシブとかを見てみると、上位ランクの絵はだいたいなんとなーく同じような絵ばっかり。
とってもキレイで上手なんだけど、みんな似通ったエッセンスしかない。
現代の需要に合わせた結果なんだろか。「こういうのが描きたい」という目標が、ほぼ一箇所というか一方向になっちゃっているような印象をうける。
ある一人が「この絵と同じような絵を描きたい」と思い、鬼のように努力し、同じような絵を描けるようになり、またその人を目指す人が努力し……
そんな形でねずみ算、似たような絵が散乱する結果になっているような。
また今の日本では、それで需要と供給が成り立っているので、なおさらそのまま。
なんだろう、過渡期なのかな?
昔に比べたら、ハード・ソフトが恐ろしく発達して、絵を描くハードルがドッカンと下がっている。
その割には、ピーキーな絵描きってのがあまり注目されない。注目されないから大多数のひとはそんな絵は描かない。
大量消費される金太郎飴的な絵の海のなか、みんなワサワサしている印象。
「絵師の違いがわからないのかよ」「うわっ、みんな同じに見えるの?センス無いよ」「感性とぼしいなオイ」
そう言われるかも。実際そうかも。
でもそれって、
「このデザインの良さは君には分からんよ、そもそもこのデザインはこの点がこう……」
とか言って憚らない某デザイン業界の人と同じ気もするんだわ。
うん、何が言いたいのかわからなくなってきた。
寝よう