ぺっぺけぺの雑記

くそったれプログラマの素晴らしきくそったれ



ほしいものリスト

切手のないおくりもの

200日以上、ブログ書いていなかったらしい

 

まああれだな、昔はイライラするとブログに愚痴をぶつけることが多かったので

それが減ったということはいいことなのかもしれない。

 

ここ数日バッタバタしていて、やっと落ち着いた

祖母が96歳で他界し、その葬儀のため実家と住処を毎日往復

高齢の父と母のサポートに姉弟でいろいろと走り回るなど

 

葬儀の場での挨拶など初体験であったが、

使い慣れない言葉というのは全然頭に入ってこない

けっきょく暗記できずにカンペ

数十年ぶりに会う従兄弟などは会えて良かった

 

 

ちょっと気持ちの整理などしたいので、久々にブログを書こうと。

 

 

優しいおばあちゃんだった

末っ子長男であった俺は、おそらく甘やかされていた

二人いる姉には小言を言うこともあったようだが、

俺は何かを言われた記憶がない

 

小学生時代には、ビックリマンをたくさんくれた

祖父と祖母はパン屋を営んでいて、そこでお菓子も売っていた

お菓子問屋からビックリマンを箱買いして、一日3個ずつだったかな

もっとたくさん食べさせてもらったかもしれない

問屋で買えなくなってからは、俺が欲しがると

300円くれて「これで10個買ってきな」と言ってくれた

何という甘やかし、肥満児ペっぺ そりゃ痩せないわ

ありがとうおばあちゃん

 

 

たまに作ってくれるミートソースがめちゃめちゃ美味かった

チーズがゴロゴロ入っていて、ものすごく濃厚

美味すぎて中学時代、部活で腹減った俺は

残り物のミートソースを温め直しもせずにかきこんだ

なんか緑っぽかった気もしたが気づかないふりをした

 

ものすごく悶え苦しんだ

多分腐ってた

 

腐ってても気づかないくらい、気づきたくないくらい

それくらい美味かったし大好きだった

 

 

そうか、もう食えないんだな、いま気づいたわ

 

 

リビングでゲームをしていると

ちょっとだけごめんね、というふうに

ホウキで埃をあつめ、うちわを塵取りがわりに使って掃除をしてくれていた

手伝えばよかった、などと今さら思うのはあるあるなんだろうか

 

よく庭で草むしりもしてくれていた

おふくろさんに「おばあちゃんを手伝いなさい!」と言われた記憶があるが

手伝った記憶は無い

手伝えばよかった

 

 

俺に対して、こうしろ、ああしろということは一切なかった

ただ、高校や大学時代、夜の帰りが遅かったりすると

俺の居場所を把握するよう小言を言われた、と

おふくろさんが言っていた

何しているか心配だっただろうなあ

ごめんなさい、酒ばっか飲んでましたが、いかがわしいことはしてません、きっと

 

 

働いて家を出た後は、会う機会が少なくなった

実家に戻ると「お嫁さんまだ?早く見つけなきゃだめよ」と毎回言われた

結婚したくてもなかなか結婚できずにいたので

わりかしボディーブロー 苦笑いしてたけど、

おかげで結婚を諦めずにすんだのかもしれない

 

こういうこと言うと女性に怒られるかもしれないし、決してそれだけではないが

結婚しておばあちゃんを喜ばせたい、安心させたいというのは確かにあった。

 

 

結婚し、今の妻を紹介したときは、すでに脳梗塞で一旦倒れた後だった。

かなり痴呆が入ってしまっていて、俺のこともわかっていたかどうか

ちょっとわからない。

遅くなってごめんね、おばあちゃん。

でもいい奥さんだよ。

コロナのせいで数えるくらいしか会わせられなかったけど、覚えてるかな。

通夜の前の日、会いに来て泣いてくれたあの人だよ。優しい人だよ。

 

 

老人ホームに入ったあたりで何回か入退院を繰り返し、

わりと回復したりもしていたみたいだが、

血を吐いた後は何も食べられなくなり、

点滴のみでお迎えを待つ状態になってしまった。

 

お見舞いに行ったけど、寝ていて話せなかったなあ。

無理矢理でも起こしたほうが良かったかな。

でも俺のことが分からなかったら、

いきなり部屋に知らない男がいることになるから怖いよね。

おふくろさんと一緒に行けば良かったんだな。

その後、話すチャンスは無かった。

 

 

その頃、俺が家で奥さんの帰りを待っていたとき

ドアを開けるような音がしたから

お、帰ってきたな

と思ってドアのところに行ったら誰もいなかった。

俺の家を見に来てくれたのかな、おばあちゃん。

 

同じころ、実家におばあちゃんが帰ってきた夢を見た。

これから草むしりするの、という格好で

あれ、おばあちゃん治ったんだっけ!と思って嬉しくなって

すぐ目が覚めて、ああ、会いに来てくれたんだなー、と切なくなった。

 

 

それから1,2週間後くらいか

父から、おばあちゃんが早朝に息を引き取ったとの連絡が入った。

会社で部長に事情を話し、妻にも連絡したあと早退して実家へ。

すっかり痩せてしまったおばあちゃんに「おかえり」と声をかけたら

泣けてきてしまった。

 

姉が病院へ見舞いに行ったとき

「いつ帰れるかなあ」と言っていたと聞き、切なくなった。

 

 

そこからは葬儀の打ち合わせや決めることを決めたり連絡したり

いろいろと駆け足で動いていた気がする。

葬儀も終わり、疲れだけがかなり残っている気がする

やっぱりまだ実感がない。

これからなんだろうな。

 

 

できれば跡取りとなるひ孫を見せてあげたかったけど、ちょっと遅かった。

ごめんねおばあちゃん、奥さんは葬儀に出られなかったんだけど、

会いに行ったときに気づいたかな?

お腹、少し大きかったでしょ。

 

 

うまく行けば、11月にひ孫が生まれるよ。

どうか、無事に生まれるように見守っていてください。

 

 

今まで本当にありがとう。お疲れ様。

おじいちゃんと一緒に、ゆっくり休んでね。